ダンカンとパーカーとジノビリの深い絆・3人がスパーズに残り続ける理由

 

ティムダンカン、トニーパーカー、マヌジノビリと言えば、ここ13年間の競合スパーズには欠かせない3本柱であり、この3人がそろい分だ2003年の優勝から、これまで実に4回の優勝を成し遂げており、ツインタワーが成し遂げた99年の優勝を合わせると通算で5度の優勝をほこっています。

 

スパーズの印象はチームの団結力が非常に高く、シーズン中も大きく負け越す事は有りません。世代交代も非常に上手くいっているチームで、グレッグポポビッチが長年かけて積み上げてきたこの競合が簡単に崩れ去る事は無いでしょう。

 

2014年の優勝時のインタビューの映像で、ポポビッチ監督、ダンカン、パーカー、ジノビリの4年で行われた座談会の和訳内容をお届けましす。(引用:Youtube / Spurs champions Revealed)

 

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ティムダンカンの指名について

 

ポポビッチデビッドロビンソンが長年支えてきたチームに、1997年ドラフト1位でティムダンカンが加わりました。

ポポビッチ:「本当にタフな選択だったけど、4、5日ティムと一緒に過ごして、ビーチに行って一緒に泳いだんだ。彼がどんな人間か知らなかったからね。ティムも僕が誰か知りたいと思っていたはずだし。彼が泳ぐのを見て、本当に凄かったんだ。水泳も、バスケも得意な選手なら問題ないって、そのとき判断したんだよ。」
ダンカン:「何も予想できる事はなかった。僕がこのリーグで、上手くプレーできるのか、普通になるのか、悪い選手になるのかね。ドラフトを受けた後に、ポップ(ポポビッチ)がサマーキャンプが有るけど来るか?って言って。もちろんって答えたね。出来るだけたくさんの事を吸収したかったから、で、参加したんだけど、ぜんぜん上手くプレーできなくてさ(笑)」
ポポビッチ:「ティミーがトレーニングキャンプに来て、デビットロビンソンが彼のプレーを見たんだけど。えっと、2回目の練習だったかな、、オフェンスが変わったんだ。それでデビットが心配をする事は無くなったよ。ティミーはどんどん成長していったんだ。」

ロビンソンとツインタワーを結成したダンカンは2年後の99年にNBAファイナル制覇を成し遂げます。

 

トニーパーカーの合流

 

そこに2001年、ドラフト28位でトニーパーカーが入団します。

パーカー:「フランスにいたときたくさんNBAの試合を見てたんだ。朝3時に起きてテレビをつけてね。僕の弟がデビットロビンソンの大ファンだったんだ。デビットはフランスにも来てくれたし。彼のプレーを見に行って、メッセージボードを掲げたりしてさ。
スパーズの試合を見てたのは、彼が理由だよ。99年の優勝ももちろん見ていたから、スパーズからドラフトを受けたときは、人生って本当に面白い物だなって思った。スターティングで行くぞって監督に言われたときは、本当に怖かったね。当時先発のアントニオダニエルズがティミーと仲が良かったのを知っていたから、僕がスターティングで数試合したらティミーに嫌われるだろうなって思ってた(笑)。」

ポポビッチ:「スターターで行くぞってトニーに言ったときに、彼は顔をしかめてね。「本気かっ?」って顔だったな。」
パーカー:「いつでも挑戦を受ける覚悟はあったし、準備もできていたんだけど、ティミーのリアクションが怖くてね。「ティミーや他のチームメンバーは僕で大丈夫なの?」ってポップに聞いたのを覚えてるよ。
ポポビッチ:「私には何の問題も無かった。出来る男だってわかっていたからね。」
ダンカン:「彼はとても細くて、クイックで、ポイントガードだってことは言えたね。エイブリージョンソンは本物のポイントガードだった。すべてをコントロールして、ボールをまわしてね。トニーはボールをはなさなかったけど(笑)」
パーカー:「ポップに最初に言われたのを覚えてるよ。「エイブリージョンソンみたいにプレーしろ」ってね。でも僕の頭の中で、尊敬してないって意味ではなくて「エイブリーにはなりたくないよ(自分自身でいたい)」って思ってたんだよ(笑)。もっと上手くなりたいってね。ジョンストックトンみたいになりたかったんだ。」

 

99年の優勝当時のPG、エイブリージョンソンの陰を追っていたポポビッチ監督ですがトニーパーカーは自分なりの新たな風を吹き込んでいきました。

 

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ジノビリの加入

 

ドラフト指名自体は1999年の57位で受けていた物の、イタリアのセリエAでプレーしていたジノビリが2003年からチームに加わる事になります。

ポポビッチ:「マヌの加入が決まったときティミーに、「マヌのことは好きになれそうか?」って聞いたのを覚えてる。ティミーは「どうだろうね」って言ってたな(笑)」
ダンカン:「マヌとあったのは夏のころかな、彼が歩み寄ってきて、「こんにちは僕はマヌジノビリ、これからスパーズでプレーするんだ」って言われて、「え?ちがうでしょ?」って言ったのが始まりだった(笑)。彼の獲得はチームの実験か何かか?って思ってたね。(笑)」
ポポビッチ:「マヌは本物の競争者だった。チームに来たときには彼はすでに完成されてたからね。まさかNBAに来るとは思ってなかったよ。すでに海外でベストなプレーヤーという評判を受けていたから。チームに加入が決まったときは本当に興奮したね。ただプレー面では、私の言う事を聞かない事もあったな。」
パーカー:「僕はマヌとポップは上手く行くとは思わなかったな最初。」
ポポビッチ:「こいつの最初のプレーみたか?(笑) 競争心は大好きだったんだが、それ故に暴走すると思ってた。」
ダンカン:「まだ覚えてるんだけど、最初の練習のときかな、マヌのマッチアップはほとんどブルースボウエンで、マヌはブルースにぼこぼこにされてた。そのときにブルースが「何度倒しても這い上がってくる」って言ったのを聞いたときに、確信したんだ。こいつは何か持ってるって。」
ジノビリ:「あのときはフラストレーションは確かにあった。「なんでチームメートなのにこんな事するんだ?」ってね。でも面白い物で、そのおかげで僕は成長できたんだ。」
ポポビッチ:「マヌは本当にタフだったね。最初の3年くらいは、「何でお前はそう動くんだ?何をやってるんだ!?」っていっても「これがオレのプレーだから」って言ってきてね。それ以降、マヌには好きにプレーをさせるようにしたんだ。その事があってからマヌは私の発想をさらに広げてくれた。本当に良い出来事だったよ。」

 

ジノビリの独創的なプレーは、名匠ポポビッチを悩ませる事も合ったそうですが、それが逆にポポビッチ監督の想像力を広げる結果となったそうですね。

 

 

3人の強い絆
ダンカン:「4年経ってからFAになってもチームを離れなかったのは、ポップがいたから。彼がいてくれた事が僕が残留を決めた大きな理由だ。僕たちがここで気づき上げてきた家族のような雰囲気だったり、チームの雰囲気だったり、それが本当に心地よかったんだ。自分がチームをリードしてるって言うのは自信になったしね。だから長くこの場所にいるんだ。」
ジノビリ:「僕も2回FAになったけど、移籍を考えた事は一度も無かった。1度他のチームについて考えた事は合ったけど、オファーを待つ事すらしなかったよ。」
パーカー:「僕にとったらこの3人がいるからだ。それが残り続ける理由だよ。みんな人柄も良いし、強いチームだし、みんあで一丸となって戦うチームだからね。」
ポポビッチ:「お前達3人は、一緒にプレーする事を楽しみ、一緒に過ごす時間も互いを助け合ってる。そうあるべきなんだ。バスにいるときも、飛行機に乗ってるときも、ホテルにいるときも、試合の後のゲームも、いつも楽しむ事が大切なんだ。お前達にはそれが出来ている。」

 

この3人も歳を重ね、気づけばダンカンが39歳、ジノビリが38歳、パーカーが33歳と、ダンカンとジノビリに至ってはキャリアの終盤に差し掛かってきています。しかしこの3人が築き上げてきたチームワークはすでに次世代へ受け継がれ始めています。

 

カワイレナード、ダニーグリーン、ラマーカスオルドリッジと次世代をになう役者がすでに揃っているスパーズ。このこれからも競合スパーズのチームワークがそう簡単に崩れる事は無いでしょう。3人の思い出が色あせないように。

 

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