ジミーバトラーの過酷な生い立ちの話・感動のサクセスストーリー

 

ジミーバトラーの同期はカイリーアービング、ケンバウォーカー、クレイトンプソンと若い世代で活躍している選手ばかり、彼はそのなかでも1巡目最後の30位で指名をうけました。現在26歳。

 

彼の印象は、全身バネ。屈指のオールラウンダーであり、アウトサイドシュートから、インサイドでの身体の強さも持ち合わせ、アスレチックなプレーを得意としています。ディフェンスでもスティール、ブロックと幅を見せており、現在ではチームトップの22.4得点をあげるなど、名実共にエースに成長。

 

小6まではバスケットボールに興味は無く、フットボールに夢中だったというジミー。多くのNBA選手と違い、彼が育ってきた環境はあまりに過酷な物が有りました。ジミーバトラーは13歳の頃には家庭に父親はおらず、母親には「見てくれが気にくわない」という理由で家庭を追い出されています。

 

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過酷な幼少時代

 

家を失ったジミーは友達のジェレミーの家に居候を始めます。高校1年生の終盤に後輩のジョーダンレスリーとバスケットボールキャンプで出会い、ジェレミーとともにレスリーの家に居候する事に。レスリーさんも父親を交通事故で無くしている経験があり、ジミーにたいして思う事があったのかもしれません。

「家に泊まりに来なよって感じだった。別にママも気にしないからさって。次の日になると、もう一晩泊まっていきなよって、それを繰り返した感じさ。」-ジョーダンレスリー-

レスリーの母であるミッチェルランバードさんのことをジミーバトラーは「お母さん」と呼んでいるそうですね。血のつながりが無くても、ジミーにとって家族と呼べる存在ができたのです。考えても見ると、自分が13歳でこのような境遇になったとしたら、相当つらいと思いますし、性格もひねくれてしまいそうですが、、

 

ジミーの再起はここから始まります。

 

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タイラー短大からマーケット大学へ

 

タイラー短大でプレーをしていたジミーバトラーをリクルートしたのは、マーケット大学の監督バズウィリアム氏。彼はジミーバトラーのプレーを見て彼に「おい、おまえ!へたくそ!」と一声かけたそうですね。(笑) バズ氏はバトラーのことを気に入り、奨学金制度で彼をマーケット大へリクルートします。

 

バズウィリアム氏のもとで成長を遂げたバトラーは、平均得点を5.6から15.7まで引き上げます。この活躍と成長がシカゴブルズの目にとまり、2011年ドラフトピックを受けます。ブルズでの1シーズン目はベンチスタートだったものの、2年目にルオルデンを怪我で欠いたチームはジミーバトラーを起用。

 

18得点、8リバウンド、3アシストと大車輪の活躍をみせ、彼はチャンスを見事ものにします。シカゴブルズというチームも、彼にとっては家族なような存在のようです。

「みんなでいつも一緒にいるんだ。映画に行ったり、ご飯を食べにいったり、誰かの部屋に集まったり。コート上だけでなくて、いつも一緒にいる。誰かが落ち込んでいたり、助けを必要としていれば、助けるし。そういった事がチームが成功している一つの要因だと思うよ。」-ジミーバトラー

シカゴブルズは2014年にデンをキャバリアーズへ放出。ジミーバトラーは先発を射止め、現在に至ります。家庭を失ってから13年後、彼がオールスター選手になる事を、当時だれも予想はしていなかったでしょう。

 

 

まとめ

 

ここまでのストーリーを見ると、彼が現在NBAでプレーをし、オールスターにまで成長したのは、彼の周りの人たちのサポートがあったからこそ。しかしそれ以上に、ジミーバトラー本人の精神力でここまでの道を切り開いてきました。どんな崖っぷちに立たされても、努力し、めげず、くじけず、あきらめなかった。

 

そんな彼に魅力を感じ、人が集まってくる、人が助けてくれる。それは運でもなにもなくて、彼自身の人間性が導きだした神の手ほどきなのでは無いでしょうか。ジミーバトラーという選手はバスケットボールの才能だけでなく、すばらしい人間性を兼ね備えた選手なのです。

 

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