コービーのフィラデルフィアでの最終試合・地元についての想いを語る

 

昨年12月、地元のフィラデルフィアでの最後の試合を終えたコービー。試合前には赤ちゃんの頃のコービーを抱いた事が有るというジュリアスアービングとハグをかわし、額におさめられた高校時代の24番のユニフォームの贈呈をうけるなど、地元からの大歓迎を受けていました。

 

2002年のファイナルで76ersを相手に優勝を飾ってからというもの、アリーナに来る度にブーイングを受けていたコービーですが、フィラデルフィアが、最後のシーズンを戦っている地元の英雄に、大歓声、MVPコールを送る姿にとても感動しました。

 

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フィラデルフィアでの思い出

 

高校時代をすごしたフィラデルフィアの地を、NBA選手として訪れる事は最後になったコービー。これまでを振り返りながら、思い出の地を車で回ったそうです。引用:Youtube

コービー:「すべてに感謝だよ。これは本当に美しい事だと思う。昨日は、昔よくプレーしてた公園を車で回ってね。懐かしい顔ぶれをたくさん見る事が出来た。そこで思ったのはやっぱり時間の流れがどれだけ速いのかって言う事。僕の事を助けてくれた人にも、応援してくれた人にも、みんなに対して感謝の気持ちがわいてきてね。全部ひっくるめて、本当に良い旅だったんだ。」
インタビュアー:「フィラデルフィア出身のバスケット選手として名前が挙がる事は、あなたにとって特別な事ですか?」
コービー:「本当に光栄な事だと思ってる。この町からはたくさんの有名なバスケットボール選手が排出されてるけど、その中の1人になれる事は本当に光栄な事だ。」
インタビュアー:「子供の頃にプレーした思い出で印象に残っている事は有りますか?」
コービー:「サニーヒルのリーグでプレーしてた頃かな。夏を通して1得点しかとれないときがあって。ある種のターニングポイントだったんだけど、僕は11歳で、テクニカルフリースローでも何でも良いからとにかく得点が欲しい!って言う思い出が有るよ。でも僕にとってはモチベーションになったんだ。その場所に戻ってきたら、万全の状態でプレーしないとって思えたしね。
自分自身を試す場所でもあったんだ。ダニーカーやアーサーデービス、アダムウィリアムスやラシードウォレスを相手にね。競い合うには最高の場だったよ。」
インタビュアー:「あなたがこの地で育った事を知っている人もたくさんいると思いますが、このアリーナに来る度に、なにか特別な扱いを受ける事は有りますか?」
コービー:「ないよ。いつもこのアリーナに来ると、ロッカーにプレッツェルがおいてあるだけ。(笑) NBAに来てから毎年だよ。プレッツェルと、マスタードと、試合の後にはステーキを食べる。フィラデルフィアに来るときはそれがルーティーンみたいな物だね。」

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フィラデルフィアから感謝のメッセージ

 

試合前には、地元フィラデルフィアからのビデオメッセージも上映されました。

コービーへ君はいつまでもフィリーの子だ

私たちと同じプライドをもって君は育った

君がこの地を去ったときも、フィリーは君の一部だった

チャンピオンになるための粘り強さ、情熱、闘志、願望

20年間にわたって、君はゲームを変えてきた

私たちが悲痛な想いをした日もあった

私たちの宿敵になることもあった

でも私たちはここにいる、君が愛したこの町に、君のルーツであるこの町に、

きみはいつだってフィリーの子だよ

世界が君を知る前に、私たちは君を知っていたんだ

尊敬の念を込めて

 

フィラデルフィアより

引用:ESPN

地元を離れて、レイカーズに入団し、奇しくも地元の宿敵になる必要が合ったコービー。良い思い出も、悪い思い出も、すべてに敬意を表して、暖かく包み込んでくれた地元フィラデルフィア。地元に報いたくても、レイカーズの一員である限り受け入れられる事が無かったコービーは、こうして「フィラデルフィアの子供」に戻りました。

 

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