マイケルジョーダンとスコッティピッペンの素敵な友情の物語

 

マイケルジョーダンとスコッティピッペンと言えば、NBAの歴史上で最強のコンビ。マジックジョンソンとカリームアブドゥルジャバー、カールマローンとジョンストックトン、シャキールオニールとコービーブライアント、レブロンジェームズとドウェインウェイド、様々なデュオのなかでもピッペンとジョーダンの支配力は歴代でもNo1なのではないでしょうか。

 

90年代に6度の栄冠に輝いたこの2人は、オフェンス、ディフェンス、リーダーシップにおいてリーグ図一の実力をほこるコンビでしたね。結果的に見れば、史上最強のデュオとして認識されている二人ですが、そこにたどり着くまでは数々の戦いが有りました。

 

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2人の出会い

マイケルジョーダンがNBA入りしたのは1984年。シカゴブルズに入団するや否や、周りの騒音をよそに大車輪の活躍を続けました。3年後の1987年、スコッティピッペンがブルズに入団してきます。ここで二人は初めての対面を果たす訳ですが、ドラフト5位で入団したピッペンのことを当時誰も知りませんでした。

 

ジョーダン:「最初にスコッティが来たときは、彼は自分がどこにいるのかわかっていないような感じだったね。線も細かったし、でも次第に彼の能力が頭角を現すにつれて、みんな注目するようになったんだ。」引用:Youtube

 

マイケルジョーダンもこう語っているように当時のピッペンには、後の救世主になるという印象は一切無く、若かりし頃のジョーダン率いるブルズもワンマンチームと呼ばれていました。

 

2人の成長で3連覇を達成

フィルジャクソン率いるチームバスケットを展開するようになると、これまで自分が得点しないと勝てないと思っていたジョーダンにパスの心が芽生えるようになります。ピッペンもこの頃にはオールディフェンシブ2ndチームに選出される程に成長し、スコアリングでも安定して平均20得点を記録するまでになります。

 

このデュオを止めるすべは無く、4年越しに宿敵ピストンズを破り、NBAファイナルへ進出。マジックジョンソン率いるレイカーズを4勝1敗で避け初優勝を果たします。翌年にはリーグ史上最多の67勝を上げ、またしてもファイナルに進出。ブレイザーズを4勝2敗で下し、NBA2連覇。その翌年もバークレー率いるサンズに勝利しスリーピートを達成。

 

チームリーダーであるジョーダンの横には必ず、ピッペンの安定した得点、ディフェンス、アシスト、リバウンドがあり、この二人の信頼関係とともに、チームケミストリーはこれ以上無い形となりました。シカゴブルズは永遠だと、誰もが思っていた事でしょう。

 

ジョーダンの引退

 

しかし、3連覇達成後のシーズンオフ、父親の死をきっかけに、ジョーダンはNBAを引退してしまいます。

ピッペン:「正直言うと、ジョーダンが引退を決めたとき、彼はもう戻らないと思った。彼の心の中では、カムバックする事が一番遠い選択だと思ったんだ。彼がこのような形で試合から去らなければいけなくなったのを見て、かなりショックを受けたのを覚えてるよ。僕たちは4つめのタイトルに準備万端だったからね。
 彼が野球に転向してからも、動向を追うようにはしていたけど、お互い話をする事は無かった。彼には休息が必要だったから、あえて僕は距離を置いてたんだ。」引用:Twitter

 

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ピッペンの覚醒

チームに1人残ったピッペンへの世間からの風当たりはとても厳しく、3度の優勝と金メダルを獲得できたのは、ジョーダンに寄り添っていたからだ、と痛烈な批判を受けていました。ジョーダンのいないシカゴブルズがこれまでのような競合になりうるとは誰も思わなかったのです。

 

しかし、ピッペンは逆にそれをチャンスだととらえ、リーダーシップを見せる時だと強く心に誓いました。そしてピッペンはジョーダン不在のチームを55勝に導き、その年のオールスターMVPにも輝く活躍をみせ、リーグ屈指の実力者である事を自ら証明してみせたのです。

 

ジョーダン:「自分がいない2年間、彼は僕の役割をこなしてくれていた。僕がいなくなって、もう自分に封をする必要は無くなったんだ。それが彼をさらに素晴らしいプレーヤーへと押し上げた要因だ。」引用:Youtube

 

ジョーダン不在の2年間でピッペンの実力は世界に証明されましたが、ブルズはその2年間でファイナルに進出する事は無く、改めてマイケルジョーダンの重要性も強調されるシーズンでもありました。

 

ジョーダンの復帰

1995年、ジョーダンがシカゴブルズの練習場に姿を現し始めます。当時その姿をみたピッペンは、ジョーダンの練習への姿勢から、復帰に対して本気である事が見て取れたと語っています。数回の練習を重ねた後に、ジョーダンの復帰はチームにとって絶対だという確信に変わったそうです。

 

そして「I’m Back」の名言とともに、ジョーダンは待望の復帰を果たします。当時の復帰の理由の一つとしてジョーダンは、チームにピッペンがいた事が復帰の理由の1つであると明かしています。しかしその年のプレーオフでは、ペニーハーダウェイ、シャキールオニール率いるオーランドマジックに敗退。現実は甘く有りませんでした。

 

ピッペン:ジョーダンは45番を着用していたけど、違和感は無かったかな。ただそのジョーダンは過去に23番を着用していたジョーダンとは違って見えた事は確かだ。

マジックに負けた事はタフだったね。僕とジョーダンがチームにそろってから初めてのプレーオフで負けたんだから。でも逆にその敗戦が僕たちに火をつけたんだ。彼もかなり深刻にとらえていた。引用:Twitter

 

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シカゴブルズ復活

95年の敗戦から、ハードにトレーニングを重ねてたジョーダン。そのジョーダンが復帰後も、ピッペンのステータスは変わる事無く、逆に過去2年間の活躍で、最強のデュオとなって帰ってきました。そこに当時4年連続でリバウンド王を獲得していたデニスロッドマンが加入します。ここに「レッドアサルト」が結成されたのです。

 

チームは息を吹き返し、1996年には前年破れたマジックを4連勝で破ると、ファイナルではシアトルスーパーソニックスに4勝2敗で勝利し、4度目の優勝を達成。その後2年連続でファイナルの舞台に立ったチームはユタジャズとの激闘を制し、ついにブルズは6度の優勝を達成します。

 

フィルジャクソンは1996年の優勝獲得後のインタビューで、「この優勝を2人のチームリーダーに感謝したい」と語っています。MVPトロフィーを手にしたジョーダンは「チームは自分が不在の間、2年間チームを支えてくれたスコッティの物です。トロフィーは僕がもらうけど、名声は彼に彼の物です」と述べています。

 

 

殿堂入り

ジョーダンは2003年のワシントンウィザーズでのシーズンを最後に引退、その翌年にブレイザーズからブルズに復帰していたピッペンも引退を表明します。もちろんこの二人の背番号は永久欠番となり、2009年にはジョーダンが、2010年にはピッペンが殿堂入りを果たしました。授賞式の舞台では互いに感謝の言葉を述べています。

 

ジョーダン:「たくさんの人たちに支えられてここまでこれました。これまでのハイライトに写っているのは僕だけでは有りません。僕が獲得してきたすべてのチャンピオンシップには、スコッティピッペンがいつも一緒にいてくれました。」引用:Youtube
ピッペン:「MJ、君はたくさんの人に影響を与えてきたけど、僕には格別だった。ベストなチームメイトでいてくれて本当にありがとう。この経験をいつまでも、この関係を永遠に大切にします。」引用:Youtube

 

2人ともに互いに殿堂入りのスピーチの舞台で、最初に出てきた言葉がお互いの事であることから、この二人の厚い信頼関係を見る事が出来ます。ジョーダンとピッペンは、オフェンスでもディフェンスでも互いを必要とし、練習では二人揃ってお互いを高め合い、コート上ではいつも同じ光景を見てきました。

 

この二人の友情は永遠であり、この二人が残してきた功績もまた、永遠に語り継がれることでしょう。

 

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