マイケルジョーダンが野球を始めた本当の理由とは?父親との絆の物語

 

1993年、シカゴブルズは3年連続のNBAファイナルへ進出。フィルジャクソン率いるブルズは、マイケルジョーダン、スコッティピッペン、ジョンパクソン、ホーレスグラントを中心にチームバスケットを展開。2連覇を成し遂げていたブルズの絆を破るすべは無く、1stラウンド、2ndラウンドともにホークス、キャブスをスウィープ。

 

カンファレンスファイナルでは宿敵ニックスを相手に4-2とし、3年連続のNBAファイナル進出を決めます。相手はその年にMVP を獲得していたチャールズバークレー率いるフェニックスサンズ。これを4勝2敗でさけ、悲願の3ピートを達成。シカゴの町は祝福に包まれました。ジョーダンは93シーズンが始まる前に引退をほのめかしており、オフシーズンに入るとその動向に注目が集まっていました。

 

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ジョーダンの最初の引退

 

引退の時期を模索しながらも、ジョーダンはギャンブルの道から抜け出せずにいました。オフシーズンに入ると、負けず嫌いの性格がたたり、ギャンブル漬けであったジョーダンに対してメディアからの批判が集中するようになります。

 

オフシーズンの7月、ジョーダンの父親であるジェームズジョーダン氏が車で仮眠をとっていたところ、強盗事件に巻き込まれ、亡くなってしまうという悲劇がジョーダンを襲います。幼少期から、兄弟のように仲の良かった2人。最愛の父を失ったジョーダンの心は失われ、「試合へのモチベーションとコート上で証明する事が無くなった」との言葉を最後に30歳の若さでNBAを引退してしまいます。

 

引退したジョーダンは突如として野球への転向を発表し世間をにぎわせます。

 

マイケルジョーダンが野球に転向した理由
ジョーダン:「お父さんと野球の事について話していた事では有るけど、お父さんを亡くしたから野球をやっている訳ではないよ。そう出なくても、野球をやるプランはあったんだ。数年前に父と話をしたときは、僕がまだ準備できてなかったけど、野球を始めた今は、彼に感謝してる。」引用:Youtube

 

マイケルジョーダンの父であるジェームズジョーダン氏はセミプロの野球選手として活躍をしていた人物でした。またジョーダンも12歳の頃にはノースカロライナ州のミスターベースボールに選出される程の実力を持っており、バスケットボールに専念していなければ、野球選手になっていたかもしれません。

 

本人は父の死が直接的な要因ではないと語っている物の、「過去に父が叶えられなかった夢を自分が叶える」という意志で当時野球を始めたようですね。バスケットボールでスーパースターの地位を確立していたジョーダンですが、父とかわした約束以上に、優先する物は当時の彼には有りませんでした。

 

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野球時代の評判
ジョーダン:「毎日球場に入るたびにお父さんの事を思うよ。どこへ行くときも父と一緒なんだ。身体は一緒にいなくても、心と魂は僕と一緒にいてくれる。今までどれだけ僕が批判をされようとも、そばにいて助けてくれたんだ。朝起きて自分にご飯をつくり、車に乗って1人で球場に向かうときに、隣に座っているお父さんが見えたよ」引用:Youtube

シカゴホワイトソックスの下部組織であるバーミンガムに入団したジョーダンに対して、世間からの批判はとても大きく、特に幼い頃から真剣に野球に取り組んできたMLBを目指す若者からは「僕はここまで苦労してきた、でも有名人だからってすぐにチームに参加できるのはおかしい」と言及をされていました。

 

しかし、毎日日が昇る前に球場入りし、一人黙々と練習をこなしていたジョーダン。彼は野球の実力では周りの選手にかなうことは無かったため、バッティングコーチと協力して、1日中特訓をし、毎晩一番最後に帰る選手だったそうです。

 

試合での成績もふるうことはなかった物の、日を追うごとに持ち前の努力精神で、感覚をつかんでいくジョーダン。しかし、雑誌の紙面では「野球をなめてる」と報道されるなど、批判はやむ事は有りませんでした。それでも一人黙々と、球場に残り、バットを振っていたそうです。

 

 

1995-1996年にジョーダンはNBAへ復帰を果たしますが、一度だけだとしても、自信がおさめてきたバスケットボールでの成功をすてさり、世間の批判にたえながら、それでも「父親との約束」のために夢を追うジョーダンは、1人の男としてかっこ良く、そして人間としてとても美しいと感じました。

 

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